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西洋の戦略の名著
西洋の名著としては、かつてドイツに存在したプロイセン国の将校であったクラウゼヴィッツが著した『戦争論』が最も有名であり、現代でも様々な政治家・軍人・実業家・ウォール街の金融家等に参考にされています。
中でも、GE(ジェネラル・エレクトリック)の名経営者であるジャック・ウェルチは熱心な読者として有名です。戦争論は、ナポレオン・ボナパルト率いるフランスと戦って敗戦したプロイセン国の軍人の視点から戦争の本質に迫った内容になっています。戦争論は論理展開の独特さのために極めて難解です。
戦争論が難解である理由は、内容を一部だけ抜粋して読んでも全体で主張したいことがわからないところにあります。部分的に字面を素直にそのまま読んでも正しい意味が取れずに誤解してしまう、ということです。
最初から読み、哲学で使われる弁証法的な考え方に沿って一つずつ論理を追って積み上げて、一つの構造物として全体の主張を解釈しようとしないかぎり、内容を正確に把握できない仕組みになっています。孫子の兵法は一部を抜粋して理解することが可能ですが、戦争論はそのような構成にはなっていません。孫子の兵法は、提示されている主張を相手が受け入れることを要求するのに対して、戦争論では主張の受け入れを要求してはおらず、対立・矛盾する見解をあえて提示して議論を展開していきます。
戦争論は、現実にはありえない理想論、いわゆる「絶対戦争」の状態を出発点として、ヘーゲルの弁証法(アウフヘーベン)の考え方で論理展開を行い、少しずつ現実の戦争へ近づいていって本質に迫ろうとするアプローチになっています。熱力学のように、実際には存在しえない“理想気体”を仮定した状態方程式を使って、実際の気体の状態を推定・計算しようとするアプローチに似ています。
絶対戦争とは、“全ての軍事力とあらゆる資源が一切の障害・干渉なく戦いに投入されている状態であり、相手を滅ぼす(相手の戦力の撃滅)まで続く戦争”のことを意味しています。しかし、現実には絶対戦争のようなことは起こりえず、様々な制約・障害・状況認識・動機によってそれが妨げられていて、途中で講和に至ったり、部分的な領土や特定の利権を得たりすることで終結したりすることが多く、政治的な脅しをかけるためだけに戦争を行う場合もあると述べられています。
孫子の兵法と共通する内容や主張としては、以下のような点が挙げられます。
・戦争は政治的手段であり、政治活動の延長である。相手に自分の意思を強制する手段である。
・政治目的から戦争目的が導き出されるが、必要となるコスト・犠牲と得られる効果を天秤にかけて行うかどうかを判断すべきである。もし、コスト・犠牲に見合わなければ、政治目的自体から見直すべきである。
・ネットアセスメント(彼我の比較分析)を重視している。彼を知り己を知れば百戦危うからずという孫子と同じ発想である。彼(相手)の分析が妥当であったとしても、自分の分析が過大評価であったならば、ネットアセスメントとしてはマイナス評価となります。
孫子の兵法と相違する内容や主張としては、以下のような点が挙げられます。
・孫子は政治指導者や大戦略の視点から内容が書かれています。一方、戦争論は、軍事指導者の視点、すなわち作戦レベルや戦闘レベルに重点が置かれている内容となっています。孫子と戦争論では一つの対象を異なる視点から述べているため、正反対のことを述べていても、同じ内容について述べている、ということがあります。
・孫子は「政治・外交・経済の条件は所与ではなく、自らコントロールすべき対象であり、インテリジェンス、すなわち諜報活動を行うことによって不確実性を減らすことができる」と主張しています。一方で、戦争論は「政治・外交・経済は所与の条件であり、補給(ロジスティクス)が機能することが前提」となっており、インテリジェンスを通じた情報・欺瞞の活動には否定的な見解です。情報・欺瞞は、不確実性を大きくする要因となりうるとして退けています。その代わり、指導者の資質や勇気ある決断を重視しています。この部分だけ読むと、指導者は希望的観測をもとに自分にとって都合の良い情報だけを考慮して作戦計画を立てるという誤った行動に走りそうですが、戦争論の該当箇所の主張では、あくまで個々の戦闘を想定していることに注意が必要です。戦争全体で諜報活動は不要、ということは述べていません。
・孫子は「相手の謀り事を妨害して成り立たないようにする」ことが最優先であると述べていますが、戦争論では「相手の戦闘力を撃滅するのが最優先であるが、それは絶対戦争の場合のみである。現実には、敵の“重心”、すなわち敵の組織が機能しなくなる力の源泉を特定することが戦略を立てるときの肝であり、その重心に対して攻撃を集中できるかどうかが勝敗の分かれ目である」と述べています。
・戦争論では“相互作用”という概念を導入して、相手は自分の行動に応じて変化する、そして自分も相手の変化に応じて更に変化を行うということが述べられており、際限のない相互作用が起きて容易に事態がエスカレートするという特徴が戦争には存在すると主張しています。したがって、クラウゼヴィッツは、事態がエスカレートしないように迅速に終結させるべきことを主張しています。例えば、軍事的な衝突が起きたときに、戦力を逐次投入して収束を図るのではなく(相手が戦力を増強してきたからこちらも増強するというリアクションは行わずに)、大戦力を一気に投入して相手の意気をくじき、速やかに収束させることを主張しています。つまり、相互作用を断ち切ることの重要性を論じています。
孫子では、戦争には奇正(奇襲と正攻法、引きと押し等)のような呼吸が存在していて、絶えず変化する旨が述べられています。明示的に相手との相互作用については言及していませんが、奇正の変化によって相手を崩すことの重要性が述べられています。
戦争論から経営の実務家が学べる内容は、視点の数ほど存在すると言えるほど豊潤ですが、その中でも以下の3つの点が特に重要であると筆者は考えています。
① 論理展開
② 重心の概念
③ 摩擦の概念
まず論理展開についてです。先述したように、戦争論では異なる主張・対立意見を相互にぶつけ合いながら本質に迫ろうとするアプローチで、戦略はいかにあるべきかの論理が展開されていきます。論理展開そのものが、経営の実務上の意思決定に非常に有効です。物事には二面性があり、全ての状況でうまくいく案や方法などは、世の中にはそもそも存在していません。
現実の複雑さを詳細に把握した上で、そのエッセンスを凝縮する形で単純化を行い、お互いに成り立たないような代替案(プランA,B,C)を戦略の候補としてまとめます。鍋に入れた材料を煮込み、素材の味を凝縮したクリアなスープを抽出することと同じことです。“現実の複雑さを詳細に把握した上で”という箇所がポイントであり、十分に詳細を把握できていない中で単純化を行ったとしても誤った結論を導く結果となってしまいます。
必要な材料が全て揃っていない中で煮込んだとしても、目的の凝縮したスープはつくれないのです。現実の複雑さの手前にある単純さではなく、現実の複雑さを超えた先にある単純さが求められるのです。アナロジー(類推)を通じて現実を理解しようとしても十分ではなく、理論を通じて複雑な現実を単純化してみても重要な事柄を見落とすリスクが生じてしまうということになります。
自ら対象に足を踏み入れて現実の複雑さを理解し、そのエッセンスを抽出して単純化し、代替案として仕上げる必要があります。代替案をまとめた後は、代替案を相互に比較検討する中で、本質的な課題や帰趨を決する課題について議論し、戦略を決定するという流れになります。
“重心”とは、相手の力の源泉となっている箇所や置かれている状況下での相手の急所のことであり、現実の戦争ではそれらを見極め、その部分に攻撃を集中することで相手を無力化する、ということが述べられています。相手が前提としている経営上のリソースを先回りして押さえてしまったり、経営者が考えている心理上の盲点や不利益を被りたくない心情を逆手にとり、自分が有利となるような行動を選択したりすることが含まれます。
“重心”という概念は、現代でも重要な軍事的な概念となっており、多国籍軍による軍事作戦の立案・実行を想定した政治・軍事的方法論である“JOPP(Joint Operation Planning Process)”では、作戦の肝となる概念であると述べられています。
“摩擦”とは、現実に存在する様々な不確実さであり、戦略の実行に影響を及ぼす要素や出来事のことを意味しています。事が始まる前に緻密な計画を立てたとしても、現実にはその実行を阻む出来事が起こり、実行を断念せざるをえないことが度々あると述べられています。経営で言うところのリスクマネジメントの話です。どこまで摩擦を減らせるか、不確実さを減らせるかによって、計画の実現性が変わってくるということです(リスクの低い方法を選択しなさいと述べているわけではないことに注意してください)。
また、計画段階で戦略を詳細に落とし込むと、実行段階で摩擦の影響によって戦略に狂いが生じる、ということにも言及されています。絵画を描くときと同様に、最初に大まかな構図を決め、その後ラフに対象物を描いてバランスを確認して、最後に細部を描き込んでいくという過程を経て完成させます。最初から細部を描き込んでしまうと、描く中で構図や対象物のバランスのおかしさに気づいても修正が効かなくなります。戦略をつくる際もその過程と同様です。