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東洋の戦略の名著

古代から現代に至るまで、戦略の名著と呼ばれる書籍が出版されています。東洋の中で最も評価が高いのが「武経七書」と呼ばれている古代中国の以下の書籍であり、歴史上の数々の名将・政治家・企業の経営者によって愛読され、厳しい実践の中で使われてきました。


・孫子(そんし)

・呉子(ごし)

・六韜(りくとう)

・三略(さんりゃく)

・司馬法(しばほう)

・尉繚子(うつりょうし)

・李衛公問対(りえいこうもんたい)


ビル・ゲイツ氏、孫正義氏が孫子を参考にしている話は有名であり、自社と競合相手の優劣を多角的に評価して、競合相手または将来競合になりうる相手を早い段階で買収して自社の戦力に組み込むという手段が、実際の事業で度々行われました。


孫子は言わずと知れた「戦略」に関する第一の名著であり、最近は子供向けの書籍や漫画まで販売されています。孫子以外の書籍もそれぞれ異なるカラーを持っており、一見の価値があります。

ここでは、各々の書籍のエッセンスを紹介したいと思います。


最初は、孫子(そんし)です。

孫子の著者である孫武は、今から約2500年前の人で、斉の国出身の兵法家でした。中国の中でも、斉の国は学問において突出して優れていました。孫武は呉王闔閭に仕えて、呉の国を強国へと発展させました。

孫子は何が勝敗を分けるのかを様々な角度から突き詰めた内容となっており、世間的によく知られている有名な句がいくつもあります。以下が代表的な句になります。


・戦わずして勝つ

・勝算なきは戦わず

・上兵は謀を伐つ

・彼を知り己を知れば、百戦危からず

・百戦百勝は最善ではない


孫子は人間心理に対する深い洞察が内容のベースとなっており、時代や分野を問わずに、応用可能な内容となっています。


孫子はいくつかの篇で構成されており、その中でも特に「虚実篇」が出色の出来であると言われています。戦略を水に例えて論じており、決まった形がなく、状況に合わせて千変万化することこそが理想の戦略であると述べられています。


また、戦略の大原則である“相手の実を避けて虚を撃つこと”、すなわち“相手の充実したところを避けて、備えが薄いところを狙って撃つこと”が説明されており、2500年経った現代でもその輝きは色褪せることがありません。


二番目は、呉子(ごし)です。

呉子を著したのは呉起という名の将軍・政治家であり、魯の国や魏の国に仕えました。用兵と人心掌握の術に長けており、魏の国では文侯の下、大きな実績を上げました。自身と一兵卒に対しては同じ扱いをし、ともに同じものを食べ、ともに同じ場所で寝るということを実践していました。


また、魏の文侯が亡くなってからは楚の国に移り、悼王(とうおう)の下で宰相に就任して、政治・軍事両面で活躍して楚の国を一大強国へと押し上げました。しかし、急進的な改革を推し進めたために国内での反発は強く、後ろ楯の悼王が亡くなった後には反対派の門閥貴族たちから誅殺されてしまいました。しかし、彼の残した実績は大きく、呉子は孫子と並ぶ存在として古くから扱われています。


その志向性と長所においては、軍をよく統率してアルプス越えを実行し、共和制ローマ(ローマ帝国の前身)と最後まで死闘を繰り広げ、戦争後は宰相の地位に上って巨額の賠償金を課された母国を復興させたカルタゴの名将・政治家のハンニバルとよく似ています。


呉子の中では、以下のようなことが語られています。


・相手の実態を分析して、それに応じた対策をとるのがよい。一つの原則にこだわるのではなく、状況に応じて使い分けるべきである。

・相手の力量・思考の癖を調査した上で、相手の出方に応じて対応する。誘ってみて反応を見るべきである。

・指揮命令系統を確立して、信賞必罰は厳しく適用する。指示命令の方法はしっかりと事前に決めておき、指示命令に従っているかの確認と、従っていない場合の罰則の適用は必ず行うべきである。

・上に立つ者が逡巡すれば、下の者は疑心暗鬼になり、統制が取れなくなり、命令が行き届かなくなる

・相手の実を避けて虚を撃つべきである、すなわち、相手の弱い箇所を突いて、戦わなくても相手を自滅させるか、戦う前に勝敗を決するようにすべきである


孫子と同じような、現実に冷徹に向かい合うリアリストの思想によって内容が構成されています。また、戦略戦術の書としてだけではなく、戦略戦術の前提となる政治的な措置について、多くの記述が割かれています。


三番目は、六韜(りくとう)です。

剣や弓を入れる袋のことを、韜と呼びます。

周の文王に仕えて、殷の紂王を討って周王朝の創業に貢献した軍師である呂尚(太公望)に所縁のある書物です。周王朝の創業後は、斉の国の始祖となりました。


六韜には政治の要諦や君主の心得が記されており、以下のような記述があります。


・無為に化す(『老子』(古代の思想)の“大国を治むるは小鮮を煮るがごとし”、つまり“小魚を煮るとき、やたら突いたりかき回したりすると形が崩れ、味が落ちてしまう。時間をかけて、じっくりとやさしく煮るほうがうまくいく”ということと同じであり、上からの干渉を少なくして下の活力に任せるほうがうまく治まる)

・愛するが、甘やかしてはならない

・進言には耳を傾けること。進言が出るように、組織の風通しをよくすること。

・進言する人と同じ立場に立った上で、進言を聞くこと。上から見下すような態度をとってはならない。


組織の中で上の立場にいる人に対して皆が忌憚なく意見するということはありません。必然的に上の立場の人の周りには、同じような意見を持つ人が集まることになります。組織が大きくなって外部からエリートと呼ばれる経歴の人たちが入ってくるようになると、その傾向が加速します。


そのような中で、上の立場の人とは異なる意見を出す人は希少価値のある存在であり、組織にとっての好機・危機を提示する“組織の目”になっています。上の立場に立つ人は、進言する相手の立場に立って耳を傾けるのが肝要です。組織の構成員が物事に対して同じ見方しかできなくなったとき、その組織は存亡の危機に立たされたことになります。


音楽会社のプロデューサーであった丸山茂雄氏は、会社が「ロック」音楽を起点にして大きく成長し、同社のファンであった高学歴の優秀な人たちが入社してきて会社全体が「ロック」に強いこだわりを持つようになったとき、会社がよくない方向へ進み始めたことを感じとったと言います。


そこで同氏は、異端の見方ができるアルバイトの人たちの中から特に優れた人材を社員に登用して組織の鍵となるポジションに配置することで、後のアイドルやポップス路線での大きな成功のきっかけを掴みました。

六韜のエッセンスは、現代のビジネスでも十分に通用します。


六韜で特筆すべき点は人材の登用に関する記述です。大業を成すには有為の人材の登用が不可欠であると述べられており、「事業」と「釣り」を対比して以下のように人材登用の重要さを論じています。


・小さな餌では小さな魚しか釣れない(大きな餌を使えば、大きな魚が釣れる)

・重臣の餌を使うと、国が釣れる

・諸侯の餌を使うと、天下が釣れる

・しかし、せっかく有為の人材を集めても、心を掴まなければすぐに逃げられてしまう。

・天下の利益を独占しようとすれば、天下を失う。天下の利益を広く共有しようとすれば、天下を得ることができる


釣りは周りの環境や天候から多くの影響を受け、また相対する魚との駆け引きや、竿を上げるときの呼吸が大切になります。釣りを行うことは、組織の運営や戦略を行うことと似ている要素が多く、とても奥深いものです。


四番目は、三略(さんりゃく)です。

六韜とセットで「六韜三略」(韜略)と呼ばれることが多いです。漢の国を起こす劉邦の軍師であった張良が、まだ若いときに秦の始皇帝の暗殺に失敗して身を隠していたころ、街で出会った謎の老人(黄石公)から授けられたと言われています。


日本では、源義経が京都の鞍馬寺で天狗から学んだと言われています。

「柔よく剛を制し、弱よく強を制す」という言葉が有名です。前半部分は、日本の柔道のシンボル的な言葉として使われています。


戦国時代初期の名将である北条早雲もこの三略を通じて兵法の極意を悟ったと言われています。また、第二次世界大戦時の混乱期に軍の反対を押し切って終戦に導いた鈴木貫太郎の机の上にも三略が置かれていたと言われています。


三略には以下のような内容が記載されています。


・柔・剛・弱・強にはそれぞれ別の使い道があり、時と場合によって使い分けること。柔と弱だけでは衰え、剛と強だけでは滅びてしまう。

・人民の欲求を叶えるのが政治の要諦である

・複数の情報ルートを持つべきである


「複数の情報ルートを持つべきである」という点に関しては、パナソニックの創業者である松下幸之助氏の話が伝わっています。組織には公式の情報ルートと、非公式の情報ルートが存在します。

公式の情報ルートは、組織の階層を下から上へと、中間を通って上がってくるルートです。


しかし、組織の構成員や管理職は様々な忖度を行い、悪い情報ほど上に伝わってくるまでには多くの時間を要します。途中でもみ消され、上まで伝わってこないこともしばしばあります。経営幹部は、自分たちの経営方針が組織の隅々まで行き届いているかは、中間管理職を通じてしか公式ルートでは情報が得られません。そのような中では、自分たちが裸の王様になっていないかどうか自信を持つことはできません。


松下幸之助氏は、事前にあらゆる階層の選抜された社員と直接つながりを持ち、電話一本でその社員たちから直接話を聞ける非公式ルートを持っていました。その情報手段を通じて、自分の経営方針が問題なく現場まで行き届き、実際に実行されているかどうか、何か問題が起きていないかの詳細な情報を把握したと言われています。

経営の神様と呼ばれる松下幸之助氏ですが、組織運営についてはそのような細やかな配慮をし、経営を行っていました。


五番目は、司馬法(しばほう)です。

春秋戦国時代の斉の国で編纂され、斉の威王のときに雄国としての地歩を固めるのに役に立ったと言われています。戦いに対する視点が秀逸な内容となっています。


・国が大きいといっても、戦いを好めば必ず滅ぶ。天下が平和であるといっても、戦いを忘れるならば必ず危うくなる。

・緩みすぎてもいけないし、厳しすぎてもいけない

・戦いはタイミングが重要であり、十分な戦費を事前に調達して、必要な準備を行わなければならない

・組織を一心にしてこそ、必要な統制がとれる

・相手の虚実を探り、その情報をもとに作戦を練るべきである

・日常の備え・訓練と、十分な休養が必要である


六番目は、尉繚子(うつりょうし)です。

魏の恵王に仕えた尉繚と、秦の始皇帝に仕えた尉繚の二人が存在しており、どちらがその著者であるかわかっていません。尉繚子の内容は、法制の確立と信賞必罰を主張する法家の思想が濃いと言えます。

具体的な内容として、以下のような記述があります。


・部下や周りの意見には耳を傾けるべきである。しかし、決断は自分の責任で行うべきである。決断を人に委ねてはならない。決断をためらってはならない。

・占いに頼るな。人事を尽くして準備せよ(打つべき手は全て打ち、すべき努力は全て行うべきである)

・戦いに利がないときは、速やかに収束させる

・法による管理を徹底することで、大軍でも思いのまま動かせるようになる

・軍法を厳しくして、組織における威信を確立する

・綿密な作戦計画を立て、勝てる算段なしに開戦してはならない

・戦いに内在する法則性を理解して、主導権を握れるようにする


七番目は、李衛公問対(りえいこうもんたい)です。

唐の時代に成立した書物であり、武経七書の中では最も新しいです。

唐の太宗(李世民)と重臣の李衛公(李靖)との間の問答を記しています。

両者とも兵法のプロであり、太宗が質問して李衛公がそれに答えるという形式になっています。


太宗は中国史上屈指の名君として知られており、その政治は貞観の治と呼ばれています。用兵についても天才的な手腕を持っており、前王朝の隋が滅んだ後の群雄割拠の時代を勝ち抜きました。その太宗の下で軍事長官の任を務めたのが李衛公であり、当時唐の脅威であった異民族の討伐で功績を上げた不敗の名将です。


李衛公問対は戦略戦術だけでなく、軍の編成や陣形、教育訓練、歴史上の人物の評価、歴史上の有名な戦いの勝因・敗因を論じています。人物評や勝因・敗因は特筆すべき内容となっています。戦略戦術では孫子をはじめとする他の兵法書を引用して論じています。

具体的には、以下のような内容が記載されています。


・奇と正の変化に熟達して、臨機応変に対応できるようにする。奇とは「引く」「奇襲・奇策」「(攻撃につなげるための)守備」などを意味し、正とは「押す」「正攻法」「(守備につなげるための)攻撃」を意味する。奇と正はコインの裏と表の関係であり、常に一体となっている。

・奇と正は互いに常に転化して(入れ替わって)、留まることを知らない

・相手の虚実(備えが薄いところと充実しているところ)さえ把握していれば、どのような戦いでも勝つことができる

・虚実を利用するのは兵法の王道であるが、虚実を実際に利用できる者は少ない。実戦では、戦いの主導権を相手に奪われてしまうためである。虚実は、奇正と同じように、常に変わりゆくものである


奇正は重要な概念であるため、説明が必要と思われます。

誤解を恐れずに言うと、奇は“崩し技、相手の意表を突く技”のことであり、正は“決め技、正攻法の技”を意味しています。いきなり決め技を繰り出しても、相手には効かないですし、崩し技ばかり繰り出していても、相手に見破られてしまって意表を突くことはできません。

また、相手の心理状態、何を想定しているかによっても、自分の同じ技が奇にもなり正にもなります。試合中に相手の心理状態は変化するのが普通ですので、その場合は奇と正が入れ替わることになります。


相撲を例に出します。

立ち合いのときに張り手をして相手のバランスを崩すことが常の力士と対戦する力士は、当然張り手を警戒しています。そのときに張り手を繰り出しても、相手の力士は予想しているため技は効かず、“奇”とはなりません。しかし、張り手をすると見せかけて相手の上体を起こした後に、相手の懐に飛び込んだらどうでしょうか。


相手は警戒していなかったために、容易にまわしをとることができます。その場合、相手の懐に飛び込む行為は“奇”であり、自分が優位な体勢に持ち込むことができます。その上で、勝敗を決することのできる投げ技等の決め技、すなわち“正”の技を繰り出せば、勝てる確率が高まります。


また、相手の力士と張り手の打ち合いになったときは、張り手が“正”の技となります。しばらく張り手を出し合い、その後は張り手を出さずに相手の張り手をかわして懐に潜り込んでまわしをとる技は“奇”となり、その後土俵際まで「寄り切る」という決め技は“正”となります。

戦略の勝負も相撲の勝負と同じように、常に奇正が転化することになります。


虚実と奇正との関係ですが、正と正がぶつかり合う場所はお互いに実であることが多く、そうでない場所は虚が生じていることが多いというのが筆者の印象です。また、正と正がぶつかり合う中で意識の虚、つまり盲点が生まれて、相手側に奇を仕掛けやすくなる、ということも多いように感じます。


さらに、わざと自分の虚を晒して相手側に奇襲をかけるように誘い出して、出てきたところを自分が奇襲する、という技も歴史上多く使われています。この場合、自分にとっては虚が存在していますが、その箇所に相手が攻めてくることを予想しているため、自分にとっては奇とはならず、後手をとる(主導権を取られる)状態にはならないのです。

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