
なぜデジタル技術を使うのか
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なぜデジタル技術を使い、業務を行うのでしょうか。
生身の人間とデジタル技術を搭載したコンピューターには以下のような観点で根本的な違いがあります。
1) 集中力の持続性
2) 論理的な判断や処理の精度
3) 退屈さの感情
4) 能力の移転
人間の集中力はせいぜい90分から120分と言われています。どれだけ訓練を積んだ人であっても、最大で120分程度までしか集中力を継続できないのです。学校の授業時間や映画の上映時間が同じ程度であるのは、偶然ではありません。また、人間は基本的に昼夜不眠で働き続けることはできません。2-3日は不眠で働くことは可能ですが、それ以上は体力的に難しくなります。
一方、コンピューターには時間の制約はなく、壊れない限り働き続けることが可能です。120分と言わず、何日でも何か月でも何年でも壊れないかぎりは同じ仕事をし続けることができます。
人間の場合、そのときの身体的なコンディションや精神的な状況によって、論理的な判断が一定ではなくなります。処理の精度が上下してしまうのです。
しかし、コンピューターの場合、好不調はなく、論理的な判断のばらつきはありません。常に一定の精度で仕事を行うことができるのです。Inputが同じであり、システム内部の構造が同じであれば、つねに同じOutputが出せるようになっています。また、論理的な判断の部分をプログラムで実現せずにAIの学習モデルを使用して実現する場合、適切に扱えばデータが溜まれば溜まるほど一定のレベルまでは処理の精度を高めることが可能です。
人間の場合、同じことを繰り返すと飽きてしまいます。同じ計算問題を解き続けたり、同じ作業を行い続けたりすると、瞬く間に集中力を失い、退屈して疲労感を感じやすくなります。
コンピューターの場合、同じことを同じように繰り返しても飽きることはなく、同じ内容を同じ精度で処理し続けることができます。同じ作業を行うことで、文句が出たりすることはありません。
人間の場合、同じような専門的な判断ができるようになるまでに、習熟するための訓練の時間が必要です。同じことができる能力を持つ人を育成するまでに、多くの時間を要します。
コンピューターの場合、プログラムさえできてしまえば、それを別のコンピューターにコピーして配置し、いくらでも同じ仕事を並列実行することができます。
上記のように人間よりもコンピューターのほうが優れている点を挙げましたが、現時点では人間のほうが優れている以下のような点もあります。
1) 人間社会の常識による判断や処理
2) そのときの置かれた状況(文脈)に即した適切な判断や処理
3) 論理から飛躍した発想
コンピューターは、人間社会の常識による処理・判断は苦手です。「これくらいは言われなくても自分で何とかしてよ・・・」や「このくらいの融通は利かそうよ・・・」は、コンピューターには無理な相談です。
また、過去に学習していないこと、あるいは直面したことのない状況に臨んだとき、適切な判断・処理を行うことが苦手です。自分の目の前で展開されることの意味を自分なりに解釈して、その場にふさわしい行動に落とし込むことができないからです。
さらに、「A→B、B→C、ゆえにA→C」のような論理的な展開は得意ですが、「A→X」のような論理を超越した発想や意味づけを行うことは苦手です。人間には高度な“見立て”の能力があり、訓練しだいで自由な発想で物を捉えて考えることができます。一方でコンピューターは過去のデータをもとにして人間では思い及ばない珍しい組み合わせを提案することは可能ですが、過去のデータが存在するという前提が必要になります。人間の長所とコンピューターの長所を組み合わせることで、より強力な判断や処理を行うことが可能になるのです。
まとめると、コンピューターは人間が及ばない卓越した仕事の処理能力を持っており、補完的にうまく活用することで、多くの面でレベルアップした仕事を行うことが可能になります。コンピューターをはじめとするデジタル技術を適切に使いこなす能力が、仕事の質と量を根本から変えることになります。